僕の両親は 中流階級の上 くらいの収入があったみたいで、お金についてはあまり困って記憶がない。
よくある町内の商店街店主たちとよく遊んでいた
マージャン ドライブ ダンスパーティー
それも年々一件ずつ無くなって・・・・
ということで優しかったけれど、仕事に関してはいい時の仕事の仕方で いつも通り を繰り返していた。
本屋の支店体制でお店を営んでいて お金のことはいっさいタッチしていなかった これが大変でその支店を買い取る時になって お金勘定が上手ではないのでどう考えても支払いきれない金額の条件をのみ 借金を作ってしまう
その時は適当に仕事して、サーフィンして酒飲んで・・・なんて気軽に考えていた僕は
会社のお金が回らなくなって会計事務所に「お兄さんこのままだと潰れるよ」と言われて
嫌だ〜と思いつつ 真剣に仕事を始める 多分22歳くらいかなぁ
それから親とは毎日喧嘩状態 父を否定して、母とは口をきかない
商売は、お金を回すために色々な方に助けられ朝から晩まで働いた
毎月払えない借金の額を、借り換えして期間を延ばしてギリギリ払い
長年勤めていた社員さんに辞めてもらい、アルバイトさんを減らし なんとか借金を返し続けた
そのために最初に書いたけれど色々な商売の仕方を勉強して実践した
その借金がなくなり始めた頃 ファミコンのリサイクル業に出会う その利益で会社が動き出した
日曜日はもちろん、1月も1日から店を開けて 店の前の道路は車の駐車で一杯になるくらい稼いだ
その頃結婚して父の土地に自分たちが大工さんに混じって仕事をして家を建てた
家のクロスはりは専門学校時代の先生の実家に頼んだ
その家も建てて一年で、父母に明け渡すことになったけれど・・・
そんなこんなで、父母とは全く口をきかなくなった
仕事のことばかりで、人間形成は歪な人間だったと思う
そんなやつがちょっとお金を持っていい気になっていた
実生活では、たくさんの失敗をした 今言えるのは「ごめんなさい」
仕事ではうまくいっていたものの、本当に無茶苦茶だった
父の葬儀の時、親戚中から白い目で見られ 「おじさんなんか大嫌い」といとこに言われ
お金の面では僕がすべた支えたけれど、全く認めてもらえなかった
ビジネスではなくて感情で動いていた親戚とは、つい最近まで疎遠でした
それでも、こういうきっかけをもらわないとここまで頑張れなかったと開き直り
母のところに通うようになって、一気にその蟠りがなくなった 親戚との仲も改善した
子供は親を超えなくてはいけない 子供の頃に教えられたらそれをベースに乗り越えるために
僕は否定して乗り越えたけれど それ以外は親と同じ考えで
同じ給与水準で 同じ末路を辿っている
よく社員さんには「親を超えるんだよ」と話をしている。
否定しないで認めて乗り越えたらいいよ と!
こんな僕も坂本(ブックオフ初代社長)さん稲盛さんのおかげで
今は、いい人たちに囲まれてとっても幸せに暮らしております。
昨日も近くのおばんさい屋さんで持ち寄り忘年会があって、お誘いを受けて参加してきた。
思うことは いい人たちに声をかけていただいて仲間に入れていただいて
幸せな人生だなぁ〜
失敗はたくさんしたけれど、いい人生を送っております。