才能がなくてよかった

今年も橋本さんが当社の店を視察に来ていただけました。アワード「優秀店舗」決定のための視察です。

 

お店に近いちょっと汚いけれど美味しい店で、みんなで楽しく飲みました。「う~店小さくて古くて最初はどうしようと思ったけれど、美味しいね〜」

 

橋本さんは今も現場の気持ちを忘れてない、スーパーなおばちゃまでした。

 

山鼻の店長が紆余曲折あって、アワードに選ばれた。多少の失敗なら良いけれど彼は結構やらかしている。悪いことではなく知らないからやらかしてしまうパターンですが。

 

「どうしてあなたみたいな社長で(いいたいこと言い合っています)こんなにいい店と、店長が育つの?」「なってもらいたい店長像は決めていて、そこに紆余曲折があっても行ってもらうためにいつも考えて声をかけたり、動いたりしている」「へぇ〜 あんなにちゃらんぽらんな社長がそんなこと言えるようになったんだ〜」「ちゃらんぽらんだったから、なんとかしないとと思って勉強、変化したのさ」

 

といって最近考えていたことがあるんです。

僕は小学校の頃、運動神経は良くなかった。勉強もそんなにできなかった。

3/4+4/3=7/7 と答えていたのを憶えている・・・・・

 

その頃は勉強はやれば出来たけど運動はやってもやってもうまく行かなかった。

野球のチームのメンバーを選ぶときも、やっぱり補欠になってしまうし。逆上がりもやっと出来た気がする。高校のテニス部でも鳴かず飛ばずだった

 

周りには運動神経が良くてカッコよくていつもちやほやされている友人が多くいた。

その友達と一緒によくサーフィンやスキーをやって、才能の差を埋めようと頑張ったものでした。

 

でも僕はそこでなんとかしようと思って努力したし、商売も大変なところから出発したので努力して変化して先輩の話をたくさん聞いて、実践してきた。

 

そう思ったとき、60歳を目の前にして子供の頃の運動神経があったり才能があった人はどうなっているのか考えてみた。あまりいい人生を送っていない気がする。

 

そこが考え方の試練なのかな〜 僕は運動神経よくなかったので考えて努力した。才能がある人は、努力しなくてもなんでも出来る。

 

生き方、考え方だと思うけれど。僕は僕に関わった人を幸せにしたいし、自分は機嫌よく楽しく生きていきたい。

 

自分だけ良くしてゆきたいとか、相手のものを自分のものに、楽にお金をもらいたい・・・

なんて考えた途端に失敗に進むんだろうな〜 と思う今日このごろ

 

おかげさまで、いい店長が育っっております!