
母が3月の初めに亡くなりました。
僕の母は僕にとって、子供の頃は優しくてでもちょっとおっかない母 学生の頃は小うるさい母 商売を始めたら、とってもうるさくて何もかにも反対してくる母でした。
ブックオフをはじめる時にともかく反対されて、ブックオフをやった後も僕は母と父を商売のやり方を、否定し続けたので、ともかく大変でした。
30歳の頃に、夫婦で(当時の一回めの夫婦です笑)父の土地に夫婦と大工さんで二人三脚で建てた家を両親に一年で明け渡し
(ここから僕の両親への不信感が高まった)
僕の長男を預けて面倒を見てもらう時も僕は一切家に入らなかった ずっと、音信不通で父の最後の時も立ち会えなかった。お葬式はしっかりやったけれど親戚中から非難されっぱなし
でもね、両親のお店の借金返したのも、会社に貸し付けてた両親のお金も返したのも、ましてお店の株も僕が全て買い取った。 その後も何かとお金のかかることは僕が処理して、楽な老後を過ごさせてあげてた。
でも、斎藤一人さんの本を読んで 「許せないと思っても、許すんだよ」って書いてあったから、「ゆるす ゆるす ゆるす・・・・」何度も心で、口にだして唱えて
僕もその頃2度目の結婚に失敗して時だったから 母のところに僕の作ったおかづを届けて、関係を復活した。
そうしたら、母は何かあるごとに僕を呼び出して一緒の時間を持つようになった。
僕が家に顔出し始めると親戚に「聞いていたのと違う」とか「いい人なんだね」なんてよく言われた
母ば面白くなかったのか有る事無い事を話してたらしい ま そんなところなんだよね
息子はゆうこと聞かないし、連絡もよこさない なんて親不孝な子どもなんだ なんて思っていたのだと思うから仕方がない。
八十を過ぎた頃に色々と怪我したり、骨折ったり、家で倒れて一晩動けなくなったところをたまたま家に行って見つけて助けたり、ともかく色々と面倒を見てきたと思う。施設も綺麗なところに入れてあげた、施設に居られない状態になってきて、病院に入院した
ベットから降りれなくなってきて、夜に男の人の名前を叫ぶそうで
「あれ いい男でもできたかな 90も過ぎて・・・・」
なんと「ふみあき〜」って叫んでたらしくて その後病院に顔出したら、朦朧としてたけれどしっかり手や足をマッサージしてあげたり、髪をとかしてあげたり。
それから間も無く、意識もなくなって・・・・
いつも笑ってお客さんをもてなしてた母 麻雀やってみんなではしゃいでた母 ドライブ行っていつもたくさんの山菜や、ムール貝をとってみんなに配っていた母、たまに鋭いことを僕に言ってくる母
僕は母に顔も、性格もそっくりのような気がする。
いい人生だったのかなぁ お葬式で初めてボロボロ泣いた 人生でお葬式であんなに泣くのは初めてだった。 一切表に出さないで、親戚とうちの社員さんだけでお葬式を取り行った
誰も母を知らない人がたくさんきていただいて、僕が忙しくなったらちゃんと送ってあげれないような気がして。
いいお葬式だった。取り仕切ってくれたのが自宅の向かいのYくん 会うたびに話したり、犬と遊んだりするいい隣人で とってもよく動いてくれた親戚のわがままもよく聞いてくれた。
「僕を産んでくれたありがとう お母さん」